200以上の穴に住居説から墓へ (国指定史跡)
実際に足をはこぶと本当に横穴がたくさん
さすがにお墓の集合体と思うと少しゾゾッとした
”百穴”という呼び名が文献にみられたのは
およそ200年ほど前のようだけど
それまでは、密かに守られていたのか?

明治時代に、大発掘がおこなわれ多数の出土品
一時期はコロボックル人の居住ではないか?
とも言われたようだけど、研究が進んで
古墳時代の墓穴だったという結論に至ってる

戦時中の軍需工場跡地⇧
史跡の一部が犠牲になってとても残念
破壊するのは簡単だけど
守り続けるのは大変なこと
珍しいヒカリゴケも生息しているので
ぜひ後世に遺したいですね
*現在は崩落の危険があるってことで洞窟内に入れないそう
敷地内には吉見町埋蔵文化財センターがあります
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